プロレスラー高山善廣さんが試合中の事故にあい、頸髄損傷で現在は歩けない状態になっています。
嫁さんに支えられて病院生活をしていますが、回復の見込みはなしと言われています。
高山善廣は身長196㎝125㎏のプロレスラー
高山善廣さんは身長196㎝125㎏と体に恵まれているとあって、高校時代はラグビー部、大学時代はアメリカンフットボール部に所属をしていました。プロレスに入門したのは大学時代、20歳の時に休学をして、第1次UWFを受けて合格。
入門をしたものの、ラグビーで負った肩の怪我が再発したことを言えなかったこともあり、1ヵ月も経たず逃げてしまったそうです。
大学卒業後はフジサンケイグループで営業マンをやっていましたが、どうしてプロレスラーの夢を諦めきれずにいたら、宮戸優光さんに声をかけられて、UWFインターナショナルに再入門して、1992年には金原弘光戦さんとの試合でデビューをしました。 そのあと試合を続けたものの、Uインターが解散をしたために、キングダムに移籍して、さらにフリーランスになって、全日本プロレスへ。
史上初となる世界タッグ王座とアジアタッグ王座の同時制覇を果たすも、2000年には三沢光晴らと共に全日本プロレスを脱退して、プロレスリング・ノアの旗揚げに参加しました。個人としてはPRIDE参戦をきっかけに再びフリーランスとなって、個人事務所「高山堂」を立ち上げると、プロレスリング・ノアを中心に、新日本プロレスやその他の様々な団体、PRIDEなど総合格闘技の試合にも参加したと言います。
今でこそ立派な体格をしているとはいえ、はじめのころは痩せていて、キック以外、あまり見どころのない選手と評されていたとはいえ、ジャイアント馬場さんには「こいつは磨けば光る」と言われて、ジャイアント馬場さんはもちろん、アントニオ猪木さんにも認められ可愛がられたそうです。
プロレスラーとして強い以外に、試合ではメイドのコスプレをするなど、面白いことをしてファンサービス精神が旺盛だとのこと。
なので、バラエティ番組やドラマに出演するなど芸能界でも活躍していますが、プロレスのほうは2017年に試合中に負傷をして、長期欠場中。復帰が中々できない状況のようです。
高山善廣が頸髄損傷で現在は回復の見込みなし
2017年5月の「DDTプロレスリング」豊中大会で高山善廣さんは怪我を負い、病院に運ばれたのち、「頸髄損傷および変形性頚椎症」と診断されたと報告をしました。
手術を受けて命の別状はなく、意識もあるとはいえ、首から下の感覚がなく、人工呼吸器をつけて呼吸をしていたと言います。この時点では医者には「回復の見込みはないです」と言われたとのこと。
その後、呼吸器が外れて、なんとかリハビリで、ある程度話せるようになったものの、なにせ動けないので、高山善廣さんは病院の天井を見つめるばかりで、絶望を口にしていたのだそうです。
そんな高山善廣さんを応援するために、他のプロレスラーが有志の会「TAKAYAMANIA」を設立して、グッズ販売や寄付を募って、治療費に充ててもらおうとしました。
話せるまでにも、かなり時間がかかったというので、動けるまでには、もっと時間がかかるでしょう。ただ、「TAKAYAMANIA」の支援や奥さんの奈津子さんの支えがあって「絶対に戻ってやる」と言っているそうです。入院し続けているのはリハビリのためで、でもリハビリ目的で入院するには期間に制限があるので、病院を転々としているとのことです。
医者には「回復の見込みはないです」と言われたとはいえ、高山善廣さんも奥さんも病院を転々としつつリハビリに励んで、回復を諦めてはいないようです。
高山善廣の事故にファンから応援の声が
高山善廣さんが怪我をしたのは、自分から技を仕掛けて頭を強打したことでの、事故でした。頭の怪我というので「頸髄損傷および変形性頚椎症」と症状は重く、医者には「回復の見込みはないです」とまで言われてしまいました。
医者にそう言われると絶望しそうですが、ファンは希望を捨ててはいないようです。というのも、前にも脳梗塞で倒れたときがあったからです。
2004年のことG1 CLIMAXのリーグ戦で佐々木健之助さんと戦った後、脳梗塞で倒れて、そのときも病院に救急搬送をされて、緊急手術を受けました。長期欠場をしたとはいえ、2年後の2006年にはノア武大会で復活を遂げたのです。
このときがあるので、また奇跡の復活があることを願い、ファンは応援の声をあげて、他のプロレスラーが設立した有志の会「TAKAYAMANIA」のグッズ販売や寄付、チャリティーの試合に協力をしているようです。
高山善廣の嫁が支えている
高山善廣さんが結婚したのは2001年のこと。お嫁さんは元モデルという奈津子さんです。ジャイアント馬場さんの命日に生まれたという息子、義弘くんと3人家族で、高山善廣さんと息子さんが、奈津子さんの誕生日にサプライズで花を贈り歌うなど、とても仲がいいようです。
それだけに、高山善廣さんが「頸髄損傷および変形性頚椎症」となったのはショックだったでしょう。医者に「プロレス復帰は無理。歩くこともままならないだろう」と言われたら余計です。
食事をすることも排泄することもままらなかったそうで、ゼリー1つ食べきるのに90分かかるのを補助したり、話すリハビリに根気よくつきあったり、奈津子さんはつきっきりで、世話をしていたと言います。でも、本人は辛いと思ったことはないとのこと。自分が泣いたら、夫が心配になるからと言い、世話をしつつ夫の愚痴なんかを聞いてあげて、支えてあげているようです。
そんな奈津子さんの支えがあって、今では普通に食事がとれるようになり、痩せていた体も肉がつきはじめたそうです。体はまだ動かないものの、口でペンを挟んで絵を描いたり、自動車椅子を、上手に顎でコントロールして動かせるようになったと言います。試合復帰までは道のりが長そうですが、奈津子さんの支えは、少しずつ実を結んでいるようです。
高山善廣のまとめ
・身長196㎝125㎏と体に恵まれつつ、はじめのころは痩せていて、キック以外、あまり見どころのない選手と評されていたとはいえ、ジャイアント馬場さんには「こいつは磨けば光る」と言われて、ジャイアント馬場さんはもちろん、アントニオ猪木さんにも認められ可愛がられたそうです。 プロレスラーとして強い以外に、試合ではメイドのコスプレをするなど、面白いことをしてファンサービス精神が旺盛だとのこと。
・2017年5月の「DDTプロレスリング」豊中大会で高山善廣さんは怪我を負い、病院に運ばれたのち、「頸髄損傷および変形性頚椎症」と診断されたと報告をしました。手術を受けて命の別状はなく、意識もあるとはいえ、首から下の感覚がなく、この時点では医者には「回復の見込みはないです」と言われたものの、高山善廣さんも奥さんも病院を転々としつつリハビリに励んで、回復を諦めてはいないようです。
・試合中の事故での怪我は「頸髄損傷および変形性頚椎症」と症状が重く、医者には「回復の見込みはないです」とまで言われてしまいました。医者にそう言われると絶望しそうですが、前にも脳梗塞で倒れたときに、2年後にはリングに帰ってきたことがあったので、再度奇跡の復活を願って、ファンは希望を捨ててはいないようです。
・食事をすることも排泄することもままらなかったそうで、ゼリー1つ食べきるのに90分かかるのを補助したり、話すリハビリに根気よくつきあったり、嫁の奈津子さんはつきっきりで、世話をしていたと言います。でも、本人は辛いと思ったことはないとのことで、自分が泣いたら、夫が心配になるからと言い、世話をしつつ夫の愚痴なんかを聞いてあげて、支えてあげているようです。
試合復帰はまだ無理でも、自走車椅子で試合を見にくるなどの姿を見せてもらえたらと思いますね。